1人目の「いいね」は誰にも譲らない|YouTubeに絶対バレてるのに押してしまう
まず最初に、懺悔します
あなたがこの記事を見たときや、新千歳防災チャンネルの動画を観たとき、「スキ」や「👍」は何個ついていますか?
もしかしたら、「1個」だけのものもあるかもしれません。
懺悔します。
その1個、私です。。。
私は100%の確率で、自分の動画に👍を押します
YouTubeに動画を投稿すると、私は100%の確率で、自分でその動画に「👍」を押します。
しかも、わりと早いです。
スシローで席について、すぐにお茶を作るのと同じくらいルーティン化しています。
本当は、最後まで観てから押せばいい
本当なら、せめて最後まで観てから押せばいいのでしょう。
でも、待てない。
投稿して、表示を確認して、そのまま押してしまう。
ほとんど反射です。
YouTubeには、たぶん絶対バレている
たぶん、YouTube側にはバレていると思います。
「はいはい、また本人ですね」
「自分で押してるの、分かってるぞ」
「せめて、バレないように動画の途中で👍押せよ」
そう思われていても不思議ではありません。
それでも、押してしまう
それでも、押してしまうのです。
見栄です。そこは認めます
やっぱり、見栄えを少しでも良くしたいですよね。
見栄です。
「0」より「1」の方が、やっぱり少しだけ見た目がいい。
動画を観られたときに、「うわ、この動画、誰も👍押してねえじゃん」と思われるのは恥ずかしい。
でも、理由はそれだけではありません
でも、理由はそれだけではありません。
私は、あの「1」を見ると少しホッとするのです。
「ああ、ちゃんと世に出したな」と思える。
その“誰か”が自分であっても、とりあえず1票入ったことに意味がある気がするのです。
動画1本に、思っている以上の体力と気力を使っている
動画を1本作るのは、思っている以上に体力・気力を使います。
消防設備士試験のための動画づくりだと、事前に法令リサーチをして、PowerPointを作って、録音して、編集して、タイトルや説明文を考えて、ようやく公開する。
数分の動画でも、その裏では何十時間もかかっていることがあります。
だからこそ、公開直後の「ゼロ」はさみしい
だからこそ、公開直後の「ゼロ」、さみしすぎる。。。
そこで最初に自分で「👍」を押す。
それは数字をごまかしたいわけではなく、自分なりの点灯確認みたいなものです。
自分で作って、自分で世に出した
「これを作ったのは自分だ」
「これを世に出したのも自分だ」
「なら最初の1票くらい、自分で入れてもいいだろう」
そんな感覚です。
これは、もはや儀式です
言ってしまえば、これは儀式なのだと思います。
舞台で言えば開演のベル。
サッカーで言うとキックオフ。
仕事で言うと、とりあえず朝のブラックコーヒー。
誰も拍手していない場面で、最初に自分で手を叩くようなものです。
最悪、👍が1個でもいい
そして私は、最悪、「👍」が1個でもいいと思っています。
もちろん、たくさん押してもらえたら嬉しい。
でも、何もないよりは1個ある方がいい。
なぜなら、そこに「世に出した意味」があるから
なぜなら、1がついていれば、そこに「世に出した意味」があるからです。
私は、1人目の「いいね」を誰にも譲りたくない
私は、1人目の「いいね」を誰にも譲りたくない。
あれは見栄というより、投稿者としての意地なのだと思います。
まず俺が認める。話はそれからだ
この動画は、俺が出した。
まず俺が認める。
話はそれからだ。
もし「👍」が1個だけついていたら
だから、もし新千歳防災チャンネルの動画に「👍」が1個だけついていたら、どうか気にしないでください。
「あっ、あいつ、またやったな」くらいに思ってください。
あれは、投稿者が最初の1票を入れて、ちゃんと世に送り出した証拠です。
これからも私は押します
これからも私は押します。
YouTubeに絶対バレてるだろうなと思いながら、それでも押します。
結論
1人目の「いいね」は、誰にも譲るもんか。

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